この場所
この場所に初めてきたのは、もう30年くらい昔のことだったと思う。
今も付き合いのある親友が車の免許を取ったので、ドライブに行こうということになり、俺達は、街のはずれへと向い、海へと延びている産業道路を走った。
あんまり遠くに行きすぎてもなんだからと思い、産業道路の交差点を左に折れたら、そこには小さな私鉄の駅があり、そこはUターンも出来ないほどの細い道だったから、そのまま走っていくと、少しカーブをしているその先に踏切が見えた。
そしてもう少し踏切に近づくと、そこには、思ってもいなかった海が拡がっていた。
ちょうどその時、カーステレオからは、山下達郎のSPARKLEという曲が流れていて、それは目の前の風景と、あまりにもマッチしていたものだから、俺はその場所を一目で気にいった。
あの時、俺は、暗かった家庭環境のせいで、心的外傷後ストレス障害というものを、既に発症していたのだけど、その時は、そんなことなんて思ってもいなくて、一緒にドライブに行った親友とのバカな冗談話しに没頭していた。
俺はその時から15年経った後に、その病気のことを知ることになる。
ショパンの優しいピアノの調べが、待合室の向こうから静かにこぼれてきてた診察室の中で、俺の生い立ちを一通り聞いた後で、その医師は、何かを諭すかのように、俺にこう言った。
あなたの病名は、双極性障害 と、それから、後もうひとつ、PTSD、つまり、心的外傷後ストレス障害、その二つを持ち合わせていますと。
今までは若さのエネルギーで、それを乗り越えられたのでしょう。しかしながら、これからはそうはいきません。あなたは、恐らく限界がきています。
それは、俺が大好きな桜の花が開花した日のことで、それから俺は、何年もその病気に苦しむことになる。
この事については、また話す機会があれば書いて行こうと思ってる。
話しを戻します。
踏切を渡ると、車が二、三台止められる駐車場があった。
親友と俺は車から降りて、海の向こうを見た。
大きなタンカーがのんびりと航海しているのが見えていことを覚えてる。
そして、その先には、うっすらと、いくつもの煙突が見えた。
俺は今、その場所から、この記事を書いている。
ミーにお手紙を書いた後から、ずっとここにいる。
絶望の淵に立たされる度に、鬱がひどくなる度に、俺はこの場所にやってきた。
そういえば、その頃と同じように、コンビナートの赤い点滅が、今も変わらず見えている。
きっとそこには、こんな風景があるんだろうな。
ミー
早くこの場所に、ミーを連れてきたいよ。
このブログは、ミーのためだけに書いている。
それでもと思う。
ミー以外の誰かの目に触れることがあったなら、少しでも元気になってくれたら嬉しいなと思う。
どんなに辛い時があっても、また、死にたくなるような時があったとしても、生きていれば、必ず楽しくなる時がやってくる。
今の俺がそうであるように。
この記事は、そのことを言いたくて書いた。